坐禅体験してみました・・・瞑想との違いにカルチャーショック

坐禅に行ってきました

私は瞑想をやっていますが
瞑想と同じ仲間に「坐禅」があり
ぜひ一度やってみたいと思っていました。

「やっていることも同じ、目的も禅も瞑想も「無心」であることは同じ、あとは何が違うんだろう??」と、とっても興味がありました。

そこで、以前から坐禅をやっている友人に紹介してもらい行ってきました。

お寺は台東区谷中にある
「全生庵」です。
http://www.theway.jp/zen/index.html

坐禅中は写真は撮れません。
だから、看板とかだけ。



あとは言葉でレポートしまーす。

結論から言うと、本当にいい経験でした。
特に瞑想をやっているとカルチャーの違いが感じられ面白かった

そんなことをまとめてみました。

まず、初めての人はレクチャーを受ける

ドキドキしながら、お寺の入口から入ると出迎えてくれたのは何と!外見は外国人でハーフのお坊さんでした。

一瞬驚きつつ「まぁ、たまにいらっしゃいますから・・・」と思いながら案内してもらいました。

そして、始まる15分前にそのお坊さんが初めての私に簡単なレクチャーをしてくれます。

「こんなふうに座ってください」
と言われた座り方がこれ!

結跏趺坐[けっかふざ]というそうです。

石原さとみの坐禅

安倍首相の坐禅

私ヨガ10年やっているんでできるにはできるんですが・・・

「できますが、ちょっと20分間座るのは無理かと・・・」と言うと
「そしたら、いいですよ、座りやすい方法で。いずれにしても膝を床につけて安定して座ることが大事です」

(それは瞑想と同じだ・・・)

でも瞑想は椅子に座っても、壁に寄りかかって座ってもOK!

そして、呼吸の仕方と坐禅中の集中の仕方。
半眼で「いーち、にー、さーん・・・じゅー、いーち・・・」と数字を10まで数えながら呼吸をすることです。

これを禅の「数息観 すうそくかん」と言います。

ここは瞑想と若干違います。
私のやっている瞑想はマントラという音を繰り返し唱えます。

これによって、瞑想中、他のことを考え雑念が出てきても、眠たくなっても

「マントラに戻ろう」と意識を立て直し、瞑想に集中できるのです。

マントラはその人その人に授けられた神聖な音で、
誰にも言ってはいけない、紙に書くなど文字にしてはいけないと言われています。

また、むしろその言葉に何か意味があると、その「意味」に気を取られて、意識がそこに向かうので、意味ない音として唱えるのです。

だから、私からすると数息観は、数字の意味があり、瞑想のマントラとは違うと思いました。

レクチャーでは、その他「警策 けんさく」についても習います。

あのパーンッと肩をたたくやつ。

「これで叩きます。自分で叩いてもらいたいと思ったときにはこんな動作をしてください」
と説明を受けました。

前かがみになり、叩いてもらいやすく片手を床につけます。

「ほーう、これがあの叩くやつか・・・」
いかにも坐禅です。。。

しかも、自分から叩いてほしいって申し出るんだ・・・

それで、終わったときに聞いてみました。
「叩かれた方がいいんですか??」

「いえ、どちらでもいいんです。なぜ叩くかというと雑念で何処かへ行っていた心が「痛い」という感覚で今ここに戻るのが目的です」

なるほど・・・・でも、わざわざ叩かれなくてもいいかも・・・。と逃げ腰の私。

いずれにせよ希望制なので、自分で決められます。

そんなレクチャーをハーフのお坊さんから受けて、いよいよ坐禅開始!!

いよいよ坐禅開始

ちなみにこのとき「裸足」です、「はだし
そして、部屋は何と!暖房なし!

2月の夜に暖房なしの裸足って、さすが坐禅。

まず、裸足で廊下歩いたときには、冷たすぎてなぜか笑えた・・・・

本当にあんなのないよー。
凍りつきます。

そして、外気よりちょっとマシなくらいの室内。
5度くらいかな

そして、最初はあのかなりきつい坐法

いやーこれはすごい。

修行だ・・・

しかし、修行はここからです。

裸足は床に足の裏がついて凍りついたものの、始まると足の裏つかずに座っているだけマシって感じでした。

そして、堂内の厳かな様子からちょっとピシッとなって寒さも我慢できた

まず、みんなでお経をあげ・・・

坐禅開始。

ところが・・・・

例の警策 けんさく で叩くのが始まった途端、

その音の迫力に、驚くどころか、ちょっと恐怖を感じました。

「ピシーーーーーーーーッ!」

すごいです。
目もつぶっているし、それはまるで剣道の竹刀と竹刀がぶつかる音に聞こえます。

(こわーーーーーーーーー)

しかも、私の隣の人2回も叩かれるの申し出て、すぐ隣で
「ピシーーーーーーーーッ!」って
恐ろしい音がする。

そしてあちこちで

「ピシーーーーーーーーッ!」

「ピシーーーーーーーーッ!」

って、聞いてるだけで、痛い・・・怖すぎる・・・

その時の私の心境は住職が警策を持って前を通り過ぎる気配がすると

(ドキドキ 打たれるんじゃないか・・・・)

いや、自分から申し出ない限りそれはないのに、

(ドキドキ・・・次、私か??)

と勝手も想像して、雑念だらけだった。

気持ちとしては、よく映画の主人公が敵から逃げるシーンあるじゃないですか、あれです。

どこかに隠れて息潜めている感じ。

ひたすら「私、見つかって打たれるんじゃないか??」

ただただ音が怖かった。

 

そんな20分で終了。

みんなちょっと足崩したりします。

そしたら、「では始めます」と2回目の坐禅開始。

「えー、そうなんだ」

もう、私は足は組むのとても無理なんで
普段の瞑想の坐法にしました。

そして再び

「ピシーーーーーーーーッ!」

「ピシーーーーーーーーッ!」

って、また怖くて・・・
ドキドキ。

そして、本当に終了。

住職のお話を5分ほど聞いて、本当に終わり。
みんなで美味しいお弁当をいただきました。

座敷に帰って、靴下を履いてやっと生き返った感じです。。。

いやー、寒さといい坐法といい「ザ修行」な感じ。
まぁ、本当に修行ですからね。

僧侶たちはこれをある特別な期間は1週間続け
その修行の最後の2日くらいは寝ないで一晩中するんだそうです。

「ヒェーーーーー」
すごいことですね。

でも、それが修行。
肉体的な訓練で精神力を鍛えるんだそうです。

そう考えると、私学生の時も体育会系ではなかったし、
山登りとかも嫌いだし、
瞑想の有名な合宿修行 ウィバッサナー合宿とか絶対やりたくないし
そんな修行的なのはこの前高野山でやった、腸洗浄、鼻洗浄くらい・・・

毎日瞑想は続けていますが、別に辛いとも思わないし。
ヨガも続けていますが、これも辛くはない。

でも、住職説法でおっしゃっていたなー
「辛い修行や逆境の時こそ、その真価が問われる」って。

「本当だなー」と、あまり辛い修行(特に肉体的な)をやったことのない私でも納得。

そして、禅と瞑想「目をつぶって静かに座る」とやっていることは同じなのにそこまでの過程の違いを感じました。

瞑想はむしろ
「頑張らない」
「頑張ることを手放しなさい」と言います。

1回私は自分で「ちょっとどれくらい長い時間瞑想できるかやってみよう」と挑戦して・・・
1日6、7時間くらい瞑想したら精神的には大丈夫だったんですが・・・

次の日、足が筋肉痛になりました。

そして

「瞑想はこんなふうに頑張ってはいけない」ってつくづく感じたんです。

ですから瞑想の合宿リトリートでも、1日 1回20分の瞑想を2回するだけです。

確かに効果はこれでも十分だと思います。

ということでそんな瞑想と禅との違いを知っただけでも、本当にいい経験でした。

体験まとめ
・座禅は瞑想に比べて「ストイックな修行」
(寒いのに裸足、暖房がない中やる、警策 けんさく で叩くなど)
・目的は同じ。無心になり「純粋意識」や「悟り」に向かうこと
・非日常体験というのも同じ。こうして「今ここ」に集中する体験はとてもいい!

ということで坐禅レポートでした。
根性なしの私は、暖かくなった春頃にまた行ってみようと思いまーす。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

日本一わかりやすい瞑想・コミュニケーションセミナー講師。小学生・大学生、社会人、外国人に約5000人以上、のべ1万時間の授業・セミナーを行ってきた。元早稲田大学非常勤講師。ビジネスパーソン向けのメンタルヘルス・ウェルビーイングのための瞑想セミナー、コミュニケーションセミナーを実施中。セミナー・講演・取材お問い合わせはサイトから